雨のち二度寝


一人でいることを寂しいと思えるような人生は歩んでこなかった。
おそらく、普通の人間なら一人は寂しいのだろう。
たまにホームシックにかかって落ち込んでいるネスやほとんど常に誰かといるピーチを見ては、もし普通に子供時代を過ごせば私もあんな風に両親に会えないことや一人でいることを寂しいと感じられたのだろうかとぼんやり思ってしまう。まあ、それは今の私や養父母を否定してしまうことになるから、今更そうなって欲しいとは思わないけれど。
友人として、仲間として、好敵手として、彼らのことは好いている。皆で集まって乱闘したり、他愛のないお喋りや誰かのしでかした馬鹿騒ぎの後始末に時間を費やすのも楽しいと思う。それでも、やはりどこかで一線を引いてしまっている。私達の中には探られたくない暗い事情を持つ者もいるということは全員知っているため、今まで誰も私の態度に怒ったことはないし、その一線を越えようとしなかった。
だからずっと、私は一人だった。



「……森に帰りなさい」
スターシップのリビングで勝手にくつろぐピカチュウに、私はため息をつきながら言った。
研究所に捕まっていたのを助けて以来、このピカチュウ――以前、トレーナーがオスだと言っていた――はちょくちょく私にくっつくようになっていた。のみならず、こうしてスターシップ内にまでくっついてくるのだ。
確かに彼には何度か助けてもらったし、付き合いもそれなりに長い。だけど、私ではトレーナーのように彼の力を削ぐことなく飼うことはできない。『飼う』などという表現を使うとトレーナーやルカリオに怒られそうではあるが、他に表現が思い浮かばないのだから仕方ない。
ため息まじりの私の言葉に、ピカチュウはベシベシと自分の寝転ぶソファのとなりを叩いた。座れ、と言いたいらしい。……どっちが主なんだ、全く。
「ほら、ここは私の船。あなたはあなたの森に帰りなさい」
ピカチュウを抱き上げてスターシップの外に運ぶ。特に抵抗せず運ばれたピカチュウをそのままにハッチを閉め、スターシップを発進させる。
ちらりとモニター越しに地面を見ると、ピカチュウはまだそこにいて私を見上げていた。



「……だから、森に帰りなさい」
また勝手にやって来た招かれざる客に、私はため息をついた。知能は比較的高いと聞いたが、学習能力はないのだろうか?
「ピィカ」
ピカチュウはひょいと片手を差し出した。……何か持っている。
「……花束?」
間違っても、花屋で売られているような代物ではない。その辺りに生えているだろう雑草の花を集めて束ねただけのごくごく質素なもの。恐らく、彼が作ったのだろう。ところどころに種をつけているイネ科の植物も混じってはいるが、いくらピカチュウの主食が木の実や草の実であったとしても、これはさすがに食べないだろう。
つまり。
「これ、私にくれるってわけ?」
「ピカ」
そのためだけに、わざわざ作ってきたのだろう。
まあ、両手で抱えないと持てない真っ赤な薔薇の花束よりはまともかもしれない。この花束を作るのに、ピカチュウなりに頑張ったのだろう。それはよく理解できるのだが。
「……とにかく。森に帰りなさい」
ピカチュウに花束を贈られる理由が全く思い浮かばない。一瞬スネークあたりが入れ知恵したのかとも思ったが、それならもっと華やかな花を持ってくるはずだ。
小さな花束をその辺に適当に置いて、ピカチュウを外に出す。ピカチュウは、やはり見えなくなるまでずっとこちらを見上げていた。



「……あのねぇ」
またまたやって来るピカチュウに、私はため息をついた。
「いい加減に」
「ピカ」
私の言葉をさえぎって、ピカチュウがまた何かを差し出してきた。今度は花束ではないみたいだ。
「これは……?」
薄緑の石。半透明の石。その小さな手に、キラキラと光る小石が2つ握られていた。
「……これをどうしろって?」
ため息をもう一度。慣れた手つきでピカチュウをつまみ出してスターシップを発進させる。この作業に慣れた自分にもため息が出てしまう。今度は、地面の方を見なかった。
ふと思いついて、ピカチュウの置いていった石の成分を分析してみる。結果は割とすぐに出た。
緑の石はオリビン。透明度が高く色の綺麗なものはペリドットと呼ばれ宝石として扱われるが、これは色も透明度もよくないので宝石としての価値はない。
半透明の石は石英。質のいいものは水晶として扱われるが、これは色も形もやはりただの石ころでしかない。
ため息をついて、棚においてあった分厚い辞書を開く。中にはさんでおいたあの花束は、いい具合に押し花になっている。
「全く、誰の影響を受けたんだか」
花束といい、宝石といい、男に貢がれている気分だ。次はカバンか時計でも持ってくるのだろうか。



買出しを手早く済ませ、町から少し離れた空き地に着陸させているスターシップに戻る。地上に着陸させると宇宙に出るのが少し大変なのだが、このあたりにちょうどいい宇宙ステーションがないのだから仕方ない。
ふと気になって外部探査をしてみると、ハッチのあるあたりにピカチュウが立っていた。……そういえば、森からこのあたりはよく見える。船を見つけて寄ってきたのだろう。私が中にいる時には大抵ハッチを開けてあるから、今回も開くのを待っているらしい。
「全く。何が楽しくてここに来るんだか」
少なくとも、ピカチュウをもてなしてやった記憶はない。それどころか、見つけてすぐにつまみだしている。……何を考えているんだか。全く理解できない。
ピカチュウを無視してバスルームに向かう。頭から熱いシャワーを浴びて、黄色いネズミのことを頭から追い出した。



バスルームから出て外部をチェックすると、外はどしゃ降りの雨になっていた。
「珍しい……」
雨が嫌いなのか面倒なのかは知らないが、マスターハンドが雨を降らせることはあまりない。それで水不足にならないのは、マスターハンドが何か手を加えているのだろう。……素直に雨を降らせておけばいいのに。
髪を乾かして、いつものように簡易チェックを走らせる。と、泥の中に黄色いものが見えた。
「……まだいたのか!」
馬鹿馬鹿しい。
流石に、このどしゃ降りの中に放置するのは気が引ける。勝手に入ってくるだろうと、ハッチをピカチュウが通り抜けられるだろう程度に開けておく。
走査結果をざっと見る限り、特に問題はない。雨が止むまでは仮眠でも取っておこうか。
ふと外部モニターを見ると、そこにはまだピカチュウがいた。
「……?」
ハッチが開いたのに気付かなかったのだろうか。
様子を見に、半開きのハッチから直接外を見る。ピカチュウは、半分泥に埋もれるような形でぐったりしていた。
「ピカチュウ!?」
慌てて飛び降り、ピカチュウを抱き上げる。泥まみれになったピカチュウは、ぐったりとして反応しない。冷たい泥と毛皮を通してでも、全身が燃えるように熱いのが分かる。いくら小動物の体温が高めだとはいえ、これは明らかにおかしい。
「……っ」
急いで船内に戻り、通信機を入れる。彼の連絡先は、ずっと前に一度だけ教えてもらっている。数回のコール音の後、いつもと変わらない落ち着いた声が流れた。
『……サムス? 珍しいね、何かあった?』
「ピカチュウの様子がおかしい。お前はポケモンの専門家だろう、どうすればいい?」
『分かるけど、俺はあくまでトレーナーであって医者じゃないんだよね。でもまあ、とにかく見てみるよ。今どこにいるの?』
「いや、私がそっちに行く方が早い」
『そうだね、分かった』
トレーナーに場所を教えてもらうと、私はすぐにスターシップを発進させた。



「電気袋に異常はないし……風邪だと思う」
主にピカチュウの頬を調べていたトレーナーは、そう結論付けた。
「他の部位は?」
「ピカチュウの体調不良の原因の大半は電気袋だよ。それにもし他の場所が原因なら、俺やサムスに出来ることはない」
毛皮にこびりついたままの泥を拭ってやりながらトレーナーが続ける。
「発熱してるってことは、風邪じゃなければ過電症。頬を触ってビリビリ感じるようならコンセントを押し付けるなり何なりして電気を逃がしてあげて。あんまり進行すると拒電症になってかわいそうなことになるから」
「治るのか?」
「風邪も過電症も、体調がよくなれば自然に治る。他の症状さえ起こさなければ、人間の風邪とそこまで対処は変わらないかな」
トレーナーの言葉に、内心ほっと胸をなで下ろす。年の割に淡白な印象のある少年だが、こんな時にはその態度は頼もしく見えるから不思議だ。
「じゃ、後は頑張って。俺はしばらくこのあたりにいるから、何かあったらいつでも連絡して」
「……待て、私がピカチュウの面倒を見るのか? ポケモンに関しては私よりお前の方が詳しいだろう」
「風邪の看病に専門知識なんかいらないよ。サムスが持ち込んだんだから、サムスが面倒見るべきだろ」
「……」
正論ではある。
トレーナーに礼を述べ、ピカチュウを抱いてスターシップに戻った。



白湯と林檎と果物ナイフをキッチンから持ち出して、ソファーで毛布にくるまるピカチュウの枕元に座る。
牛乳やホットレモネードも考えたのだが、人間の食べ物と動物の食べ物はやはり違うと思われたので、人肌程度の白湯にしておいた。……乱闘中は平然とコーヒーも飲む奴ではあるが。
林檎を一口サイズに切っているところで、うっすらとピカチュウが目を開けた。
「……馬鹿だな、お前。あんな雨の中を突っ立ってるなんて」
フィギュアとはいえ、起動している状態では生身とそう変わりは無い。条件次第で怪我もするし風邪も引く。
「ピィカ……」
「ほら、水分補給。お腹空いたなら言いなさい、林檎があるから」
口元に白湯を持っていってやると、ピカチュウはゆっくりとそれを飲み干した。林檎も欲しそうな素振りを見せたので、小さく切り分け1つずつ口元に持っていって食べさせる。
食べる時はとりあえず起きようとしていたものの、やはりだるいのだろう。ピカチュウは甘えるように私の脚にもたれかかる。頭をなでてやるついでに電気袋に触れてみたが、熱以外に感じるものはなかった。トレーナーの言葉を信じるなら、おそらく風邪だろう。
食べさせ終わってからもしばらく頭をなでてやっていると、ピカチュウは再びうつらうつらとしはじめた。起こさないようにそっと抱きなおして、治療カプセルの中に寝かせた。人間用の調整しかされていないが、積極的に治療を行わなければ大丈夫だろう。適度な気温・湿度を保てて病原菌などをよせつけず、常に容態をチェックできるという点ではこれが一番だ。
もう一度だけピカチュウの頭をなでて、私はカプセルの蓋を閉じた。とりあえず、私も眠ることにしよう。



「……」
ふと夜中に目が覚めた。時計は午前3時を少し過ぎた頃であることを示している。
たまに、こういうことがある。誰かの気配があるわけでも、警報が鳴ったわけでもなく、ただ何となく眠りから覚めてしまう。あるのは、変わらない暗い部屋と幽かな喪失感。
「……ピカチュウの様子でも見るか」
目が覚めてしまったものは仕方がない。適当な上着を羽織って寝室を出て、メディカルルームに向かう。
カプセルを覗くと、ピカチュウはぐっすりと眠っていた。あまり辛そうな様子は見られないし、計器も安定した数値を示している。早ければ明日には快復するかもしれない。
「全く……人騒がせな」
カプセルの蓋を開けて、そっと背中を撫でる。
「風邪が治ったら森に帰るんだぞ。あと、もう風邪ひくな」
もぞりとピカチュウが動いた。……一応野生生物のはずなのだが、これだけやっても目覚める気配がない。それだけ消耗しているのか、私が信頼されているのか。
「信頼してもらってる、ということにしとくか」
気配に反応できないほどに消耗しているとは、あまり考えたくない。
さて、私も眠らなければ。体調管理も仕事のうちだ。



チチチ……チチチ……
「……るさいなぁ、もう」
うるさい音から逃れるために寝返りをうとうとして、ハッと我に返った。
……通信システムのコール音!
『珍しいね、サムスがこの時間に取らないなんて。急な仕事でもあった?』
慌てて音声のみで通信を受けると、トレーナーが意外そうな声で問いかけてきた。
「いや、ただの寝坊だ。すまない」
『へぇ、じゃあ今日は槍でも降るかな』
「チャージショットでよければ今からでも降らせるが」
『せめて誘導ミサイルで勘弁してくれないかな』
どっちをくらったとしても、トレーナーの体力では持ちこたえられないと思うのだが。
『まあ天気の話は後にして、ピカチュウはどう?』
「容態はかなり落ち着いている。早ければ今日中に快復するかもしれない」
『そっか、よかった。木の実や果物が主食だからそういうのあげるとよく食べるけど、酒のつまみとかのナッツは塩が強いからあげないで。牛乳は一応飲めるけど、体調よくないときには飲ませるべきじゃない。ちゃんと食べさせて、ゆっくり休ませれば大丈夫だからね』
「分かった」
『足りないものとか欲しいものとかはある?』
「いや、昨日買出しに行ったばかりだから大丈夫だ」
『そう。ならいいけど』
彼は淡白そうな印象とは裏腹に、結構熱い性格をしている。ことポケモンに関しては、嬉しい時は満面の笑顔を浮かべ、悔しい時は泣き出したりと年相応に素直に感情を出す。負けた悔しさのあまりに気絶してしまうことだってたまにある。そんな彼が、たとえ手持ちでないとしてもポケモンを心配しないということは絶対にない。
『じゃ、何かあったら連絡してね』
それだけ言って、トレーナーは通信を切った。
「……とんだ失態……」
見られたのがトレーナーでよかった。これがお喋り好きのピーチあたりだったら、今日のうちにほぼ全員に私が寝坊をした話が伝わっていたに違いない。
深くため息をつき――ふと、自分が左手に何かを抱えているのに気がついた。
「……」
黄色い毛並み、突き出した耳、雷を模した尻尾。どこからどう見ても、ピカチュウ。
「……いつの間に……」
最後に見たのが午前3時すぎ、今は10時前。比較的知能の高い生き物だとは聞いていたが、6時間足らずで開け方を教えた覚えのない治療カプセルを開けて部屋を出て、教えた覚えのない私の寝室までやってきてベッドにもぐりこむということを体調が万全でない状態でやらかせるとは思ってもいなかった。
元々体温が人間より高いため、抱いただけでは熱があるのかどうかは分からない。が、呼吸は穏やかで苦しそうな様子はないから大丈夫だろう。というか一応野生ポケモンなのだから、風邪くらいでどうにかなるはずもない。
「全く……お前が人間だったら即刻たたき出して蜂の巣にしているところだぞ」
人間やヒューマノイドの男ならともかく、オスの鼠を女性のベッドに潜り込んだからという理由で殴るのは問題だろう。
重心を移動させると、座りがわるくなったのかピカチュウが身じろぎした。甘えるように体をこすりつけてくる仕草はとても可愛らしかった。
……そういえば、二度寝した後に何かいい夢を見た気がする。コール音で起こされてしまったが、あの時は本当にもう少し眠っていたかった。船の中でくらいは一人でゆっくり休みたかったのに、何だかこのままでもいいような気がして仕方ない。
「あーもう……お前のせいだからな」
ベッドから起きたくないのは、風邪っぴきのピカチュウを抱いているから。そういうことにして、私はもう一度ベッドに寝転がった。
ヘッドボードに置いてあったプラスチックケースがその衝撃で揺れ、中に入れてある二つの小石が小さく音を立てて弾んだ。





後書き



スマブラX生誕1周年記念アンソロに投稿したものです。
サムスが激しく偽者くさい……。